2006年06月29日
『全力』と『本気』、そして『開放』
『全力』とは自分で把握しているうちの100%の力のことだと思う。自分が把握しているかいないかを問わず、気持ちを100%入れた時に呼応する力なのではないか。
如何に気持ちを強く持ったとて、身体が追いつかねば100%に満たないこともあろう。
だが、逆に自分で意識している以上の、いわば『全力』を超える力を出せることもある。
後者の状態を『本気』から区別し、上位の物として『開放』、と当方は認知している。
如何に気持ちを入れてテニスしていても、何かが欠けていて『本気』に成れないと思っていた。
しかし、それはおそらく自分の『全力』を把握していないだけであり、『本気』になっているのかもしれない。
プレイ中、出して抜いてやろうと思った時や、譲れない場面があって、意識が凄く集中する場面がある。
そういう時に限って身体に何かが駆け抜け、普段では打てない物凄いショットが打てる時が稀にある。
恐らくそれが、自分が考える『開放』なのだと思っている。
時間にして1、2秒、発生頻度も稀で心身が共振した時にのみ起るようだ。
もっと上手く使いこなせるようになれればとは思うが、いかんせん難しいだろう。
自分が考えているような状態なのであれば、常用できるものとは遠くかけ離れたものであるからだ。
それ以前に、下積みのほうが大事であることは明白だ。頑張らねばな。
・・・非常に笑えない文章が出来てしまった。一日一哲も再検討の必要がありそうだ。
如何に気持ちを強く持ったとて、身体が追いつかねば100%に満たないこともあろう。
だが、逆に自分で意識している以上の、いわば『全力』を超える力を出せることもある。
後者の状態を『本気』から区別し、上位の物として『開放』、と当方は認知している。
如何に気持ちを入れてテニスしていても、何かが欠けていて『本気』に成れないと思っていた。
しかし、それはおそらく自分の『全力』を把握していないだけであり、『本気』になっているのかもしれない。
プレイ中、出して抜いてやろうと思った時や、譲れない場面があって、意識が凄く集中する場面がある。
そういう時に限って身体に何かが駆け抜け、普段では打てない物凄いショットが打てる時が稀にある。
恐らくそれが、自分が考える『開放』なのだと思っている。
時間にして1、2秒、発生頻度も稀で心身が共振した時にのみ起るようだ。
もっと上手く使いこなせるようになれればとは思うが、いかんせん難しいだろう。
自分が考えているような状態なのであれば、常用できるものとは遠くかけ離れたものであるからだ。
それ以前に、下積みのほうが大事であることは明白だ。頑張らねばな。
・・・非常に笑えない文章が出来てしまった。一日一哲も再検討の必要がありそうだ。
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