2006年06月27日
心に体、生と死
人の心は肉体を寄り代にし、他者はそれを認識する。人の肉体か心か、どちらかが無ければそれは死んだと言える。
では、事故や病気で意識が戻らない人はどうなのだろう?
本当に戻らないだけなのか、既に意識──「心」というものが消えてしまっているのか。
現代科学を以ってしても、心の在り処はわかっていない。
脳死後の臓器移植が問題になるのはそのためだろう。
仮に脳死と診断されていても、本人の意識が表面化していないだけであったとするなら、臓器移植でその人は本当に死んでしまうことになるのだから。
・・・本題から大きく逸れてしまった。
言いたかった事は、例え肉体が健全であってもその人の心が壊されてしまったら、それは死んでいるのと同じではないのか、ということ。
そういう意味では、あと10年人として生きられる自身がないな・・・。
では、事故や病気で意識が戻らない人はどうなのだろう?
本当に戻らないだけなのか、既に意識──「心」というものが消えてしまっているのか。
現代科学を以ってしても、心の在り処はわかっていない。
脳死後の臓器移植が問題になるのはそのためだろう。
仮に脳死と診断されていても、本人の意識が表面化していないだけであったとするなら、臓器移植でその人は本当に死んでしまうことになるのだから。
・・・本題から大きく逸れてしまった。
言いたかった事は、例え肉体が健全であってもその人の心が壊されてしまったら、それは死んでいるのと同じではないのか、ということ。
そういう意味では、あと10年人として生きられる自身がないな・・・。
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